BUNGAKU SANPO

Wenceslau de Moraes
モラエス「徳島の盆踊り」の地を訪ねて

モラエス「徳島の盆踊り」の地を訪ねての写真 モラエス「徳島の盆踊り」の地を訪ねての写真


■緑、緑、緑一色
 徳島に着いたモラエスの第一印象は「緑、緑、緑一色」でした。1913年(大正2)7月4日のことです。その時の気持ちを、モラエスは「長いあいだ小屋にとじこめられていたあと、いきなりすばらしい牧草地に引き出された飢えたロバ」のようだと言っています。
 当時、徳島市の人口は7万人、モラエスを含めて欧州人は4、5人だったそうです。

モラエスの旧居跡の写真 モラエスの旧居跡


■おヨネのふるさと
 モラエスはポルトガル海軍軍人としてマカオ在勤中に何度か訪れた日本に惹かれて、ポルトガル国領事として神戸に移り住むことになります。
 15年にわたり領事として職務を遂行したモラエスは、59歳になって突然一切の公務から退いて徳島に向かいました。徳島は、神戸で13年間一緒に暮らしその前年に亡くなった愛妻おヨネが生まれ育ったところでした。モラエスは、おヨネの姪にあたるコハルを女中代わりにおいて徳島で純日本風の生活を始め、1929年に亡くなるまで徳島で暮らしました。
 「徳島の盆踊り」は、モラエスが徳島の生活ぶりなどを書いてポルトガルの新聞に送っていたものを、後にまとめたものです。

モラエス(中央)、おヨネ(右)、コハル(左)の墓の写真 モラエス(中央)、おヨネ(右)、コハル(左)の墓


■4日間で130万人
 「徳島の盆踊り」の中では、盆踊りの時には、徳島の人々は興奮し、盆踊り以外のことは口にせず、考えもしないと記されています。「高く掲げた提灯が人影を照らし出し、日本のギターをつまびくものもいれば、小唄を唄う者、踊りながら憑きものにとりつかれたかのような身ぶりをする者もいます。」と描写しています。
 その盆踊りは、現在では毎年8月12日〜15日に繰り広げられています。平成14年夏には4日間で、徳島市の人口(約26万人)の5倍にあたる130万人が訪れています。なお、徳島市に住む欧州人は約100人になっています。

阿波踊りの写真 阿波踊り


■モラエスは今も生きる
 年中踊れる阿波おどり会館の前にはモラエスの顕彰碑が、また眉山ロープウェイ山頂にはモラエス館が建てられ、おヨネのお墓に毎日通った「モラエス通り」やモラエスが住んだ長屋「旧居跡」の標識が地域の人々などによって整備されています。
 徳島を愛し続けたモラエスは、今も徳島の人たちによって大切にされていると感じました。

モラエス通りの写真 モラエス通り



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