COLUMN

訪ねてみたい旧街道 12

 昔から道があるところには、人と文化の交流が育まれてきました。太平洋新国土軸を構成する18府県には、今も数多くの旧街道が残り、交流の歴史を今に伝えてくれています。今回は、高野街道(西高野街道)です。

【高野街道】(西高野街道)大阪府堺市〜和歌山県高野町

 高野街道は、京都、大阪から高野山に至る参詣の道です。高野山への道は、京都からの東高野街道、守口(大阪府)あたりから南下する中高野街道、堺からの西高野街道と幾筋かの道がありましたが、それらは河内長野で一本の道となり、紀見峠を越えて橋本を経て高野山へと達していました。
 河内長野は交通の要所で、宿場町として栄えました。また、海抜370mの紀見峠は、その名のとおり紀伊国を見渡す峠で、かつては宿場と紀州藩の番所が置かれていました。紀ノ川沿いの橋本から九度山へ向かうと、女人高野と呼ばれる慈尊院があります。昔、弘法大師の母親が讃岐国から高野山へ参詣しようと訪れましたが、女人禁制のため入山を許されず、慈尊院の地に住みそこで没したと伝えられています。この慈尊院から高野山金剛峯寺までは、1町ごとに建てられた180本の町石をたどって行くことになります。
 今は大阪・難波から南海高野線とケーブルカー、それにバスを乗り継いで高野山金剛峯寺まで2時間ほどで行くことができますが、かつては大阪から3日ほどかかっていたそうです。スピードが大切にされる今日では、歴史に浸りながら自然に囲まれた参詣道を歩くことは、かえって贅沢なことかも知れません。
高野街道の宿場の写真
高野街道の宿場
(河内長野市三日市)


高野山への町石道の写真
高野山への町石道
(九度山町・
かつらぎ町・高野町)

高野街道の地図 慈尊院の写真
「女人高野」と呼ばれる慈尊院
(九度山町)


高野山 根本大塔の写真
高野山 根本大塔(高野町)



前項へ 表紙へ戻る