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訪ねてみたい旧街道 13

 昔から道があるところには、人と文化の交流が育まれてきました。太平洋新国土軸を構成する17府県には、今も数多くの旧街道が残り、交流の歴史を今に伝えてくれています。今回は、下田街道です。

【下田街道】静岡県三島市〜下田市

 下田街道は、三島から下田まで伊豆半島を縦断する道です。この道にはかつて難所がありました。伊豆半島は中央を東西に横たわる天城山系によって南北に分断されていますので、この天城越が難所だったのです。
 昔は下田をはじめ南伊豆の人々にとっては海路が一般的で、陸路の整備は遅れていましたが、嘉永6年(1853)のペリー来航を契機に下田奉行所が置かれ、そこを舞台に幕末の条約交渉が展開されることになり、陸路での交通も活発になりました。
 南伊豆の人々にとって悲願の天城山隧道が完成したのは明治38年(1905)のことでした。このトンネルは、昭和45年(1970)に新天城トンネルが開通してからは旧天城トンネルと言われますが、石造りの道路トンネルとしては現存する日本最長のトンネルです。このトンネルの開通は、伊豆半島の南と北を結ぶ下田街道の人やものの行き来を活発にしました。
 もともと下田街道沿いは、狩野川に映る逆さ富士の眺め、数え切れないほどの温泉に加えて、源氏旗揚げの地、北条家発祥の地など歴史の香り高い地でもあります。トンネル完成以降、文人たちが好んで足を運んだのもうなずけます。川端康成「伊豆の踊子」、梶井基次郎「冬の蠅」、井上靖「しろばんば」、松本清張「天城越え」など、文人たちはたくさんの作品を残しています。作品の舞台を訪ねると、往時が偲ばれます。

下田街道の地図

ペリー上陸碑
ペリー上陸碑(下田市)
天城山隧道
天城山隧道(旧天城トンネル)

伊豆の踊子文学碑
伊豆の踊子文学碑(河津町)
井上靖文学碑
井上靖文学碑(天城湯ヶ島町)



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