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訪ねてみたい旧街道 14

 昔から道があるところには、人と文化の交流が育まれてきました。太平洋新国土軸を構成する17府県には、今も数多くの旧街道が残り、交流の歴史を今に伝えてくれています。今回は、和歌山街道、大和街道、伊勢南街道です。

【 和歌山街道、大和街道、伊勢南街道(伊勢市〜和歌山市) 】

 紀伊半島を東西に、伊勢と和歌山を結ぶ道があります。この道を、三重県側では主に和歌山街道、奈良県及び和歌山県では主に伊勢南街道、大和街道と呼んできました。
 和歌山街道、大和街道、伊勢南街道はもともと伊勢と大和、大和と和歌山を結ぶ主要な道の一つとして使われてきましたが、頻繁に使われ始めたのは、元和5年(1619)徳川頼宣が紀州37万5千石と飛び地の松坂・白子・田丸(いずれも現在の三重県内)それぞれ6万石の合計18万石、合わせて55万5千石の領地の藩主となり、和歌山本城と松坂・白子・田丸の領地を結ぶ藩道として整備し始めてからです。寛永12年(1635)からは参勤交代が始まり、延享2年(1745)までの110年間は参勤交代の道としても使われました。
 また、この街道沿いには、東に伊勢神宮、中ほどに吉野山や大峯山などの修験道の霊山、高野山があり、西には粉河寺、根来寺、紀三井寺などがあり、伊勢参宮や山上山参り、高野詣で、西国三十三カ所遍路などの巡礼の道としても使われました。
 「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されたことを契機にして、三重県、奈良県、和歌山県を東西に結ぶこの道が再び注目されています。

和歌山街道、大和街道、伊勢街道の地図

ペリー上陸碑
紀三井寺(和歌山市)
天城山隧道
吉野山(奈良県吉野町)

伊豆の踊子文学碑
伊勢神宮内宮 (三重県伊勢市)
 



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