文学散歩

菊田一夫「君の名は」の舞台を訪ねて
地球の息吹が感じられる雲仙地獄谷
地球の息吹が感じられる雲仙地獄谷

●50年前の冬ソナ●
 連続ラジオドラマ「君の名は」の放送が始まったのは、昭和27年。「忘却とは忘れ去ることなり…」というナレーションでドラマが始まると、女性たちはラジオの前に集まり、その時間帯の風呂屋がガラガラになったと伝えられています。
 近年で言うと「冬ソナ」のようなブームを巻き起こした作品は、再会を約束しながらも運命に翻弄される男女の人生を綴ったもの。わずか30分のラジオドラマに日本中が熱狂し、昭和29年以降、何度か映画化されています。
 昭和29年の映画で主人公を演じた岸恵子さん、佐田啓二さんは雲仙地獄でロケを行い、岸恵子さんが手をついた岩は主人公の名をとって「真知子岩」と名付けられ、碑も建てられています。

雲仙地獄にある「真知子岩」の碑は国立公園指定50周年記念に建てられたもの 雲仙地獄にある「真知子岩」の碑は国立公園指定50周年記念に建てられたもの


●「Visit Japan」日本1号●
 雲仙温泉といえば、昭和9年に日本初の国立公園に指定された、大自然の宝庫。ラジオドラマの中では、全国を転々とする主人公・真知子が勤めるホテルとして、「雲仙観光ホテル」が登場します。ここは、今で言うVisit Japanの拠点となったところ。国際観光振興を目的に、海外の方々の避暑地として建てられたホテルです。
 アンティークなホテルのロビーには、セピア色になったロケ当時の写真が飾られていました。「クライマックスで佐田啓二さんが会いに来るシーンです」と写真を見ながら支配人。「もう50年も前なので、当時のことを覚えている従業員はいなくなりましたが、この建物は当時から変わっていません」とにこやかに話して下さいました。少しずつ改修して手が加えられて来たものの、レトロな雰囲気は保たれたままで4世代ものおつきあいになるお客様もいれば、各地から訪れる若いお客さんの姿も。今では文化庁の有形文化財に登録されているため、「建て直した方が安いくらい」の保全が行われてきたとか。

雲仙観光ホテルのロビーに並ぶ写真 雲仙観光ホテルのロビーに並ぶ写真


●原作者が見た風景●
 「君の名は」の原作者、菊田一夫氏は、「鐘の鳴る丘」などラジオドラマや舞台の劇作家として知られた人物です。台湾、大阪、神戸と各地を流浪した彼が、幼い頃1年半ほど過ごしたとされる加津佐町に向かいました。島原半島から天草を望む海水浴場にひっそりと「がしんたれ」の碑が建っています。「がしんたれ」とは大阪弁で「しょうがないやつ」との意味で、のちに自伝的小説のタイトルにもなっています。昭和37年に建てられた碑には「『君の名は』の中で、少年時代の思い出の地 加津佐へ舞台を移し、加津佐の一場面を描くなど『心のふるさと』として作品の中に風景を取り入れていた」との文字が。作品のクライマックスに雲仙を選んだ彼の心には、幼少時代の目に焼き付けられた大自然があったのかもしれません。

加津佐町の海岸に建つがしんたれの碑 加津佐町の海岸に建つがしんたれの碑


●ブームで終わらせない●
 50年前とは言うものの、島原半島には作品を宝として大切に守り育てる風土が残されていました。真知子岩の前で記念撮影をする人はいますかとお尋ねすると、「今は少なくなったなぁ」と写真屋さん。そうは言いながらも、飾ってあるのは「君の名は」のポーズで撮られた写真の数々。元祖・純愛ブームの地には、単なるブームで終わらせない心意気がありました。



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