訪ねてみたい旧街道 18
昔から道があるところには、人と文化の交流が育まれてきました。太平洋新国土軸を構成する16府県には、今も数多くの旧街道が残り、交流の歴史を今に伝えてくれています。今回は、大阪府内の紀州街道です。
【 紀州街道(大阪市〜和歌山市) 】
紀州街道は、大阪市から堺市、岸和田市、泉南市などを経て和歌山市に至る50kmほどの道です。大坂のまちは豊臣秀吉の大坂城築城を契機に発展してきましたが、紀州街道が整備されるきっかけも秀吉によるところが大きいようです。
大坂から紀州街道を南下すると住吉大社があり、秀吉は度々ここを参詣しましたので、街道の整備が進んだのです。住吉大社に向かう途中に「天下茶屋」という所があります。秀吉が住吉大社参詣の途中に立ち寄った茶屋にちなみ、地元の人々が「殿下茶屋」と呼んでいたものが天下茶屋になったと言われています。
街道をさらに南下すると堺市に至ります。堺は戦国時代に対明貿易や南蛮貿易など海外との交流拠点として発展しましたが、秀吉の大坂城築城により城下町が開発されるに伴い、多くの堺商人が大坂城近くに移住させられたそうです。現在堺市内を南北に貫く大道筋は、かつて紀州街道が通っていたところです。今では道幅も広くなり、阪堺電車が走っていますが、堺区西湊町などでは紀州街道の道標を見ることができます。
紀州街道は、江戸時代になると岸和田藩や紀州藩の参勤交代の道としても利用されることになり、大阪と和歌山を結ぶ主要な道として発展することになりました。街道沿いには、泉大津の本陣跡や岸和田城の西に並ぶ民家、泉南市の信達界隈など、往時の紀州街道を偲ぶことができる資源が残されています。
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秀吉が立ち寄ったことから名づけられた「天下茶屋」 |
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紀州街道の道標(堺市堺区西湊町) |
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かつての紀州街道を走る阪堺電車 |
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岸和田城 |
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