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遠藤周作「海と毒薬」の舞台を訪ねて
遠藤周作「海と毒薬」の舞台を訪ねて


■狐狸庵先生のシリアス作品
 「狐狸庵」というペンネームによるユーモア溢れるエッセイでも知られる遠藤周作。「海と毒薬」は同じ作家が書いたとは思えないほどシリアスな作品です。時は、第二次世界大戦末期。戦争という異常事態に行われた生体解剖事件を題材に、クリスチャンであった遠藤周作の宗教感を描こうとしたと評されています。
 1958年には毎日出版文化賞・新潮賞を受賞し、作家として活躍をはじめる大きな足がかりになったと言われています。

■九州大学医学部
 「海と毒薬」という題は、遠藤周作が九州大学医学部に見舞客を装ってもぐり込み、屋上から雨にけぶるまちと海を見つめていて思いついたそうです。
 偶然にも、取材に訪れた日も冷たい雨。さまざまな建物があり、どれが遠藤周作が上った建物か、わかりませんでした。

■灰色の海と空
 ようやく海の見えそうな建物に上ってみると、マンション、スーパーなど数多くの建物の奧に、ぼんやりと灰色の海。小説では、良心の呵責に悩む医学生・勝呂が、心を静めるために屋上から海を眺めます。「屋上にでるたびに彼は時にはくるしいほど碧く光り、時には陰鬱に黝ずんだ海を眺める。すると勝呂は戦争のことも、あの大部屋のことも、毎日の空腹感も少しは忘れられるような気がする。」
 海が人の心を癒してくれるのは、どんな時代でも同じなのかもしれません。

利休釜掛の松の写真 九大医学部敷地内にある 「利休釜掛の松」


■青い海と青い空
 晴れていれば、海は青く、明るく輝いていたことでしょう。そういう海を見ていたら、遠藤周作も「狐狸庵」シリーズでこの海を描いていたかもしれません。

■アジアのエネルギー
 現在、福岡市は地理的条件を活かして、海に開かれたアジア太平洋地域の交流拠点都市として発展しています。
 まちを歩いてみるとアジアをはじめ、外国の方が多いことに驚きます。各国の人々が入り交じり、エネルギーが溢れたまちとなっています。
 九大医学部から見えた海辺では、近年、観光施設やコンベンション施設などの整備が進められてきました。今は、海の中道海浜公園やシーサイドももちに、家族連れや若い人たちの笑顔があふれます。海は、あたたかく人々の笑顔を見守っているようでした。

シーサイドももちの写真 シーサイドももち



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