柳田国男「伊勢の海」
日本を代表する民俗学者・柳田国男が東京大学在学中に訪れたのが、愛知県渥美町の伊良湖岬。後に、彼のフィールドワークは全国各地に及びますが、その最初の一歩になった旅だと言われています。
明治31年、柳田国男は約1ヶ月を伊良湖や三重県鳥羽市の神島で過ごしました。見るもの、聞くもの、すべてが感動の源となったようで、渥美半島や神島の生活、風習などを旅の思い出とともに「伊勢の海」という作品に記しています。「遊海島記」と改題して発表された作品には、『畳み寄する浪の上に、帆の静かに横走る、また雲の往来の珍しきも、いまだ見ぬ人には語りがたき景なり』とあり、伊良湖水道の自然の美しさ、ダイナミックさが表現されています。
柳田国男が訪れた伊良湖岬
椰子の実
伊良湖に滞在中、恋路ヶ浜を案内してもらった柳田国男は偶然、椰子の実を見つけます。この時の話を東京に帰って親友の島崎藤村にしたところ、♪名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る椰子の実ひとつ♪という「椰子の実」の詩が生まれたと言われています。
伊良湖岬の灯台から海を眺めながら約1km先の日出ノ石門には、島崎藤村の「椰子の実」記念碑が建てられています。
伊良湖岬のある渥美町にとっても、「椰子の実」はシンボル的な存在になっているようです。海の玄関口・伊良湖旅客ターミナルには、「やしの実博物館」が設けられ、渥美町の自然や歴史、海を通じた南の島々との交流が展示されていました。
椰子の実記念碑
黒潮のつながり
柳田国男は後に、伊良湖に滞在中、台風の次の日などに椰子の実が流れ寄ってきたのを3度ほど見たことがあると話しています。
椰子の実が、南の島から遙か海路を越えて伊良湖にたどり着くことができるのは、黒潮のおかげ。古くから海を介してつながりのあった人々との交流をもう一度深めよう、「椰子の実」を町の活性化に活かそう、そんな思いではじめられたのが「やしの実投流事業」です。渥美町では、
1998年からこの事業をスタートし、全国の注目を集めるようになりました。石垣島から約1,600キロの長旅をする椰子の実には里親がいて、ネームプレートがついています。それを拾った人と里親が伊良湖で対面式、という「愛のココナッツメッセージ」。毎回、黒潮に乗って南は鹿児島県、北は山形県にたどり着いていますが、2001年にはついに念願かなって渥美町に1個たどり着いたそうです。
石垣島からやしの実投流
願わしきものは平和なり
「遊海島記」には、その結びには、彼からのメッセージがありました。『願わしきものは平和なり』。柳田国男が見つけた椰子の実を活かして、町を元気にしている渥美半島の人々。彼もきっと喜んでいるに違いない、と思わせる平和なひとときがある海の風景です。
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