ロケ地探訪

佐賀のがばいばあちゃん
佐賀のがばいばあちゃん
佐賀県武雄市



島田洋七さん自伝エッセイ「佐賀のがばいばあちゃん」は佐賀の祖母と過ごした少年時代の出来事を描いた大ベストセラーです。映画・テレビ化、舞台上演なども行われ、海外でも脚光を浴びています。今回はテレビドラマの舞台となった佐賀県武雄市を訪ねました。


■佐賀のがばいばあちゃん課
 東京のテレビ局が「佐賀のがばいばあちゃん」をドラマ化するらしいという情報が武雄市に入ったのは、平成18年6月でした。数ヶ月前に全国最年少の36歳で市長になったばかりの樋渡啓祐市長は、自らテレビ局や製作会社に出向き、武雄市は全面支援することを伝えるなど、熱意を持って働きかけました。この結果、東京に近い群馬県に決まりかけていたと言われるロケ地を、武雄市に誘致することができました。
 武雄市では、テレビロケを支援するために「佐賀のがばいばあちゃん課」を設置しました。初代課長(現在、武雄市観光協会事務局長)の白濱貞則さんらは、まず昭和30年代の素朴な田舎の風景が残る候補地を探し、市内を中心に長崎県にまで島田さんやテレビスタッフなどを200箇所以上も案内したと言います。
白濱初代がばい課長 「ここにダイコンが流れてきて・・・」と白濱初代がばい課長

■ロケ準備に市民も盛り上がる
 武雄市では素早く臨時市議会でロケ地支援のために1,500万円の予算化をしました。この迅速な対応も驚きですが、さらに市民などからの寄付が1,600万円も集まったのはものすごいことです。
 エキストラ募集では、当初300人も集まればありがたいと思っていたところ、小中学生、おばあちゃんなど1,000人以上が応募しました。「時代設定が昭和30年代ですので、まだオーディションで合格するのかどうか分からないのに丸刈りやおかっぱ頭の小学生が来ていました。エキストラに出ると言ったら、近所の床屋さんが、無料で刈ってくれたようです。」と白濱さん。
 このほか、ロケ時の炊き出しや交通整理、手作り看板の作成、宣伝など、市民それぞれができることをボランティアで行いました。その数は3,000人といいます。同じ黄色いTシャツを着てボランティアとしてロケ支援をすることを通じて、平成18年3月に1市2町が合併して新発足した武雄市の市民は結束が強まり、一体感が醸成されたようです。
ロケ隊寄せ書き ロケ隊からの寄せ書きには感謝の気持ちが込められている

■地元視聴率88%
 10月に撮影を終えた後、新春に放送予定のドラマをPRするために、武雄市では年賀状用にドラマ案内の画像をホームページで提供して市民に利用を呼びかけたり(利用枚数10万枚以上)、がばい課長と行く「東京見学ツアー」を行うなど、全国に向けて市と市民らが一緒になって情報発信に努めました。
平成19年1月4日、ついにテレビ放送。視聴率は関東19%、関西21%で他局の番組を抑えて堂々のトップでした。また、がばいばあちゃん課などが独自に市内の家庭に電話をかけ調査した結果、市内の視聴率は88%という結果でした。
   
ロケの様子を伝えるボランティア 「武雄の大楠」前ではボランティアの方がロケの様子を伝えていました

■武雄の歯車は動き出した
 「佐賀のがばいばあちゃん」がきっかけとなって、武雄市では、ボランティアガイドが案内するロケ地ツアーが行われたり、武雄温泉の「楼門朝市」が毎日曜日に開催されたり、さらに市内各地で活躍している女性リーダーから成る平均年齢74歳の音楽ユニット「GABBA」がデビューするなど、どんどん新しい動きが出てきています。
  白濱さんは、「外からたくさんの人が来てくれて、『武雄は元気ですね』と言われますので、自分たちも元気になります。みんな前向きになり、チャレンジしていくことが大事だと思うようになってきています。」と語っています。
 今度訪れるときには、どんなふうに変わっているのでしょうか。武雄市はとても楽しみなまちです。


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